「思ひ出/思い出」 太宰 治


自身の幼少期を綴った太宰の処女作である。新潮文庫版では「思い出」という表記になっていた。

細かいことをあげればキリがないくらい、まったく愛すべき人である。
ところで本筋からは外れるが、わたしが気になったのは「あんま」についてである。

――私の顏が蒼黒くて、私はそれを例のあんまの故であると信じてゐたので、人から私の顏色を言はれると、私のその祕密を指摘されたやうにどぎまぎした。

――その害を本で讀んで、それをやめようとさまざまな苦心をしたが、駄目であつた。

そこでなんとか血色をよくしようとスポーツを始めるというのがやはりどうしようもなく可愛い人なのだ。

三島由紀夫も似たようなことを書いていたように思う。たしか、何かの病状で医者に見てもらったときに、その病状は自慰が原因で起こることがあると医者が(おそらく気を遣って)家族に言わなかったので良かった、とか、そういうようなエピソードだった。体に害があるという話は、わたしは聞いたことがないが、当時はそのような迷信があったのだろうか。

それにしても、細かい部分までいちいち心惹かれる作品である。引用を始めたら止まらなくなるであろう。以下の部分も印象的だった。

――私はその小説のもつと大きなあぢはひを忘れて、そのふたりが咲き亂れたライラツクの花の下で最初の接吻を交したペエジに私の枯葉の枝折をはさんでおいたのだ。

わたしもまた、あるちょっとした部分に気を取られてそれを全体よりも重く受け止めているのかもしれない。しかし「思ひ出」は、どこを切り取っても太宰であるとも思う。

どんな些細な一部分も太宰であるようにも思うし、もしかするとこの作品もまた、小学校時代の作文のように、わざと「神妙」に書かれているのかもしれない、とも思う。どちらにせよたいへんな魅力であることは間違いない。

――學校で作る私の綴方も、ことごとく出鱈目であつたと言つてよい。私は私自身を神妙ないい子にして綴るやう努力した。さうすれば、いつも皆にかつさいされるのである。

「思ひ出」
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