「魚服記」 太宰 治


再読。中国の故事みたいだと思ったことを覚えている。はじめの方は寂しげで物哀しくてあまり楽しい話とは思わなかったが、最後の章を読んでとても好きだと思った。スワは滝に身投げをして鮒になってしまうのだが、それまでの生活にひどく閉塞感があるため、悲壮というよりむしろ救われたような感じがあるのだ。

「魚服記」についての考察をいくつか読んだが、鮒になったスワがしばらく何か考えてからまっすぐ滝壺へと向かう場面について書いてあるものはなかった。スワが何を思ったか。おそらくは滝壺に落ちて死んだあの都会の学生のことである。会いに行ったのである。こんなことはあまりに分かりきっているから誰も書かないのだろうか。わたしは一晩経ってようやく気が付いたのだが。

はじめて読んだときには、あまり太宰の作品という感じを受けなかったが、青森の自然や少女の自殺など、非常に太宰らしい作品である。

菊地成孔の「魚になるまで」という曲があるのだが、その歌詞というか朗読のテキストは、おそらく「魚服記」をモチーフにしていると思う。

「魚服記に就て」を読むと、やはり中国の物語がもとになっているようである。

魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短かい物語の題ださうです。それを日本の上田秋成が飜譯して、題も夢應の鯉魚と改め、雨月物語卷の二に收録しました。
 私はせつない生活をしてゐた期間にこの雨月物語をよみました。夢應の鯉魚は、三井寺の興義といふ鯉の畫のうまい僧の、ひととせ大病にかかつて、その魂魄が金色の鯉となつて琵琶湖を心ゆくまで逍遙した、といふ話なのですが、私は之をよんで、魚になりたいと思ひました。魚になつて日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらうと考へました。
 私のこの企ては、どうやら失敗したやうであります。笑つてやらう、などといふのが、そもそもよくない料簡だつたのかも知れません。


「魚服記」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card1563.html

「魚服記に就て」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card52344.html

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