「高瀬舟/高瀬舟縁起」 森 鷗外


訴えるものに泉鏡花の「夜行巡査」を思い出した。
罪人を島へ送る高瀬舟。あるとき乗せた弟殺しの喜助は、他の罪人とは様子が違っていた。晴れやかな表情を浮かべる喜助に同心が話を聞く。

喜助のポジティブさに驚かされた。わたしなどは、罪人となった時点で人生終わりのような気がしてしまうが、喜助は牢に入れば飯が食えることを喜び、遠島となれば、生まれて初めて手にした二百文を元手に島で商売をするのを楽しみにしているという。

人はどれほど持っていても満たされず、もっと多くを求めるものだ。しかし喜助は違う。

人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。

さらに同心はなぜ弟を殺したか聞く。すると弟は病気で、兄に苦労をかけまいと自殺を図ったことがわかる。喜助ははじめ医者を呼ぼうとしたが、死にきれず苦しむ弟に懇願され、望みを叶えてやったのである。

これは罪なのか。同心はわからなくなる。

苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。


「高瀬舟縁起」によると、この作品は鴎外のオリジナルではないらしい。『翁草』にある作品で、そこに鴎外は2つの問題が含まれていると思ったという。それが財産についてと、安楽死についてである。現代でもなお決着のつかない問題である。

「高瀬舟」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card45245.html

「高瀬舟縁起」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card46234.html

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